絵でも小説でもそうだが学校の教科書なんかで取り上げられると、特に深い意味を持つ箇所が出題に採用されたりすることがある。たいていは選択肢などになっていて、そこから1つ正解を選べば良いというものだ。
そんな時いつも思うのが、ホントに作者はそう考えていたのかなぁ・・・?である。
ひとつの解釈としてあり得るかも知れないが、その文章や絵の持つ力をそんなに簡単に特定してしまえるものなのだろうか?と思ってしまう。中にはどうしても伝えたいメッセージが明確に込められている部分もあるだろうけど、すべての箇所でそうであるとは言い切れないと思う。
私が絵を描くのだったら、誰が見ても同じ背景やストーリーしか見えてこないものは描きたくない。たとえ、自分にとってはその絵から1つのストーリーしか見えなくても、私とは感性の違う誰かがその絵を見たときに、想像もつかない新しいストーリーが生まれるような、そういう絵を描きたい。
人間の脳みそなんてそんなに正確ではない。体に害のある食べ物でもおいしく感じるおバカな脳みそだ。作者も読者もそんなバカさの中に居て、心動かされるものを追求していく。だから理性を持ってそういう作品を評価しようとして作品の可能性を潰してしまっていないか不安になってくる。読んだ人、観た人が感動すればそれで良いではないか。感動の手助けをするために評価や解説があるのは良いと思う。でも、それが正解だと思ってしまうのはすごくもったいない気がする。すべてを説明付けるにはまだまだ人間の知能レベルでは無理な気がする。
どんな絵でもどんな音色でも誰一人として同じようには見えも聞こえもしないはず。脳みそは生まれたときから形成されている訳じゃない。月日を重ね合わせ、その人が思うストーリーに合わせて形成されていく。そして感性は経験の深みに合わせて人それぞれに磨かれていく。
そこに訴えかけるような絵を描きたい。そこに訴えかけられるような文章を書きたい。そう思う。